19歳の井沢督二が中学3年生4人を預かり、神戸市長田区若松町で六畳一間の「若松中学生教室」を開校
1957年(昭和32年)高い評価を得て恒例行事となる。写真は翌年実施のもの。
1958年(昭和33年)▼第7回生文集。現職員の作文も見受けられる。
1963年(昭和38年)若松塾では1960年代の初めから英語教育に力を入れ始めた。当時高価だったテープレコーダーにネイティブ英語を録音して授業に活用した。中1~中3の英語テキストを吹き込んでくれたのは、当時神戸に住んでいた英国人だった。写真は須磨のマリスト学園の生徒さん。真ん中は神父さん。
PICKUP神戸では初めて、全国の塾のなかでも最も早い時期の導入だった。塾バス一号の運転手である木村三四郎は、その後49年間若松塾バスの運転手を務めた。
1965年(昭和40年)申込初日で100人以上応募
1975年(昭和50年)半年間で千人を超える生徒が集まり話題となる。名谷校の6階には合宿道場を併設。
1983年(昭和58年)社会派ルポライター・亜蘭忍氏の著書「子供の将来は塾で決まる」で若松塾が全国No.1の評価
旧神戸第2学区へ初進出
1986年(昭和61年)
▲当時の若松塾ニュースより
卒業生の久宝留理子さん、NHK紅白歌合戦へ初出場(翌年にも連続出場)。
1993年(平成5年)板宿本部校を仮設教室へ移転。舞子校と学園校を統合。
板宿校の生徒を受け入れる。
震災で罹災した生徒のため授業料の大幅減額措置を実施、対象者は611名にのぼる
塾生、父母を含め1,100人参加
東須磨本部校として再スタート
1996年(平成8年)記念行事「若松ワールド40」実施
清水塾板宿本部校が若松塾板宿校として再スタート
初代塾長井沢は理事長に就任
2001年(平成13年)新校舎は、居心地の良さや空間デザインを追求。随所にオープンなコミュニケーションスペースを配置するなど「硬派若松塾」のイメージを一新。
高等部東進衛星予備校及び個別指導が新教室に。
2003年(平成15年)同時に個別指導教室を併設。
鮮やかなグリーンをメインカラーにした新デザインバスが登場。その後このデザインが若松塾バスのスタンダートとなった。
116号より全8ページ中4ページがカラー、残り4ページが2色刷りになり読みやすく。写真は130号。
2006年(平成18年)オープニングアクトには卒業生園田涼さん率いるソノダバンドが出演
若松塾生デザインによるマスコットキャラクター。名前は公募により決定。
2007年(平成19年)キャンプや遠足と並んで、学習塾としては珍しい伝統イベントのひとつが「卒業式」。高等部が開講してからは「中学部修了式と飛翔の会」として執り行われ、毎年教師や生徒の笑いと涙があふれる。
▼2010年
▼1960年
東日本大震災直後に「愛のワンコイン募金」を実施。義援金100万円に塾生たちからのメッセージを添えて福島県相馬市に寄付した。
2011年(平成23年)会津若松の「あいづっこ宣言」に感銘を受け、若松塾生によりなじむよう一部改変を施した「わかまつっこ宣言」を策定した。
卒業生アーティスト3組による異色のコンサートは、約1,000人を動員し成功を収めた。 会場では東日本大震災被災者への募金活動もおこなった。
2013年(平成25年)パソコン、タブレット、またはスマートフォンを利用したオンライン学習。授業はすべてライブ形式で行われ、自宅にいながら若松塾の授業を受けられる。
百年に一度の教育改革(2020年の大学入試改革)において、文部科学省が提唱する「生きる力」を育む3つの柱と若松塾の取り組み
若松塾では参加型授業「発問応答式授業」を創立当初から実施。質の高い専任教師の授業は、クラス全員を授業に引き込み、「わかったつもり」を作らない。オリジナル教材も、日々の生徒の反応を見ながら授業を行う教師自身が改良を続けている。
「発問応答式授業」は常に考え続けさせる授業で論理的な思考力や解決力を養う。さらに新たなツールの活用や検定等の実施など、「より良い教育のための進化」をし続けている。
人間教育も考える若松塾は、創立以来からキャンプや遠足を実施。さらに読書指導や目標達成指導なども加わり、思いやりや協調性、努力の尊さなど、社会で生きるための心を育んでいる。
文部科学省 新学習指導要領(平成29年3月公示)はこちら PICKUPお近くの教室へお気軽にお電話ください。
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